youtubeがある今だからこそ、村八分の曲を音源として聞くことができますよね。
でも、村八分が活動していた1969年~1973年当時、お茶の間の流行歌と言えば歌謡曲でした。

そんな時にアングラな世界で最先端を行っていたバンドです!
ロックンロールやパンクロックなどは、ごく一部の不良の間でしか流行らなかったことでしょう。
普通の人が耳にすることすらなかったかもしれません。

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村八分は今の時代に聞いても、バンド名から始まり歌詞に至るまで差別用語や放送禁止用語であふれていますよね~^^;
筆者から見ても、すごい過激ですよ。
村八分の話題は、若い人でも相当アングラ好きのサブカルか、もしくはバンド経験があったり、音楽に詳しい人とじゃないと盛り上がれないかも~。


さて今回は、この村八分という名前の由来に迫ってみたいと思います。

元々村八分とはどういう意味なの?


最近youtubeを聞いて村八分のファンになりましたという人のために、村八分の言葉の由来について書いてみたいと思います。
村八分って、今では一般的にあまり使わない言葉なので、若い人はあまり知らないですよね。
シンプルな表現をするとすれば村八分とは、”仲間外れにされる”ということです。

ただ今のネット社会な時代、村八分にされて孤立しても普通に働いて稼ぐことが出来れば、十分に生きていけるんですよね。
究極、PCの前で誰かとつながっていれば寂しくないみたいなところもあり、最近では恋人をほしいと思わないという人もいる時代です。
でも、昔は違いました。

人と人が密接に結び付き、1人1人がある一つの共同体に属していて、その共同体の中でお互いに助け合いながら生きていたのです。
そこから仲間外れを受けるということは、事実上一人ぼっちにされて生きていけないことを意味していました。

だからある意味、村八分とは共同体内での制裁だと言われています。
仲間はずれにする。
この説明だけでも十分に少数派な、ぼっちでコアでニッチなイメージがわきますよね。


なんでバンド名に村八分ってつけたんだろう?

村八分というバンド名には諸説ありましたよね。
以前、mixiのコミュでも村八分というバンド名の由来について議論されていたのをご存知の方もいるかもしれません。

ヴォーカルのチャー坊こと柴田さんと、ギターの冨士夫さんが亡くなった後になっては、直接聞くことができないのが残念ですが、
当時、京都だか岐阜だかに「村八分」というフォーク・デュオがいて、 その名前を拝借したというのが一番信ぴょう性が高いバンド名の由来だと言われています。
山口冨士夫さんが「俺は名前なんて、名なしのごんべいでいいと思ってたけど、一緒にライブした奴らに村八分ってのがいてそこから頂戴したんだ。」と仰っていたとか。


チャー坊の「あんたら世間やったら、俺ら村八分や」
この言葉に集約されるように、自分たちは表に出てこられない地下を這う疎外された村八分だという意識があったのでしょう。

「一見さんお断り」と言う言葉が根強く残り、村八分を恐れる気持ちがどの地域よりも強そうな京都の中で。
アンダーグラウンドな音楽活動をするって、自分たちは、はみ出し者、はずれ物っていう意識がかなり沸くと思うんですよね。
特に冨士夫さんは混血で小さな頃から社会で疎外感を感じながら生きてきたことでしょう。


村八分のメンバーの脱退、解散、高齢化、そして・・・。

村八分は、メンバーの入れ替わりが激しかった

それにしても、この村八分というバンドはメンバーの脱退や入れ替わりが激しいんですよね。
特にドラマーは4人も脱退しています。

村八分のメンバーが進んで仲間はずれにしたのではなく、ドラマーさんが勇んで仲間はずれになったのかはわかりませんが・・・・。
やはり、インパクトのある言葉をバンド名にするってかなり影響力大きいと思いますね。

それでも現代のパンクロック界では、村八分といえば有名なんですよ。
普通の人がやらないようなことをやる、新しいことにチャレンジしていくってことは、きっと色んな軋轢にも合いやすいのでしょうね。

そして村八分から、主要メンバーが誰もいなくなった

村八分はバンド解散後、当時の主要メンバーが皆そろってステージに立つことはありませんでした。
1994年にヴォーカルのチャー坊こと、柴田和志さんが、2000年にはギターの浅田哲さんが、2013年にはギターの山口冨士夫さんが。翌年にはベースの青木真一さんが亡くなっています。
初期メンバー、すでに全員亡くなっちゃったんですよ~。
これは非常に寂しいですが、村八分でライブするとしたら、他バンドのトリビュートライブになっちゃいますね。

初期のパンクロックの礎を築いてきた村八分。
今でも彼らや彼らの楽曲を、こよなく愛するコアなファンが沢山いますよね♪

村八分というバンドの由来は、結局のところギターの山口さんがおっしゃっていたように名無しのごんべでもなんでもよかったのかもしれません。
でも、このバンドの存在意義こそが、社会的には村八分的であり、決して表の世界には出てこられないようなものであったことはたしかです。

表の世界では、放送禁止用語過ぎて口に出す事もままならないアンダーグラウンドな存在であり続けた彼らにとって、村八分というバンド名はその名の由来通り、社会からはずされた自分たちにはぴったりの名前だったはずです。
バンドの名前だけでなく子どもの名前もそうですが、名付けってやはり重要なんですね!

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